<余震の混乱>〜大震災後の帰省手記〜

ブログに記載すべきか迷いましたが、大地震を経験した事のない方々に参考にして頂ければ幸いです。4/7,臨時帰省したときの私の体験記です。

 明日(4/8)であの忌まわしい大震災から丸4週間が経過する。しかし未だに仙台市内には重要なライフラインである「都市ガス」が復旧していない世帯が相当数残されている。私の叔母夫婦などは被災以来入浴できないでいる。体調を崩していて物資調達も困難である現状を憂い叔母夫妻の「被災地・仙台」へ物資を積載し自動車で訪問することを決した。大崎市在住の母も今回の帰省は気乗りしないようだし、私自身なぜか数日前から武者震いのような、例えようもない気持ちになっていた。

必要品を車に積んで14時自宅を出発、上信越、磐越、東北自動車道を経由し福島県へ入った。もう日も落ちて周囲もはっきりとは見えないが、所々フェンスや路面が補修されているようで、地震の傷跡が垣間見える。国見パーキングに立ち寄ったが数十台の自衛隊車両が停車して、自衛隊員が車内で食事をしている光景を目前に、事の重大さを再確認する。

20時40分、宮城県古川インターをおり国道47号線を北上し実家に21時到着。母から3/11の被災当時の話を聞き、何が不足しているのか等の確認は叔母宅で話し合おう、ということで翌日の仙台入りに備え10時過ぎに就寝。

しかしなぜか寝付けない。テレビをぼんやり見ながら「それ」は突然やってきた。揺れると同時に停電になり「倒壊」の文字が脳裏をよぎる。激震の恐怖を押さえながら急いで母の部屋へ。揺れている時間がやけに長く感じる・・・屋外に出る事も予想して着替えしてもらっているうちに90秒ほどだったろうか?ようやくおさまった。

これだけの揺れは33年前の宮城県沖地震以来だ。真っ暗闇のなか情報源はラジオと携帯の道路案内情報しかない。隣の栗原市(数キロ行けばもう栗原市)が震度6強、マグニチュード7を超える余震のようで、深夜12時には東北自動車道福島県白河~岩手県盛岡間と磐越道福島県郡山~磐梯インター間が通行止めになった。「仙台の叔母宅に行けないどころか長野に帰れない」!

その後2時間ほど仮眠をとり午前3時、通行止めの改善情報もなく・・・母の枕元で相談の結果、国道4号線を郡山までひたすら南下し、そこから新潟市を目指し、通行可能な磐越道インターを探しながら長野に向かう。その途中で仙台に立ち寄り必要物資を届けるという事を決めた。まさに断腸の思いである。

余震発生時、一人暮らしの母と過ごせて本当によかったが、高速が終日使えないとすると平日ゆえ国道の渋滞は必須!午前3時30分、「後ろ髪を引かれる思い」で母の元を去り60キロ先の仙台に向かう。

すべての交差点信号機が消えている。初めての光景だ。スピードは出せないし路面も読めない。大きな交差点にはパトカーが配置されていた所もあった。緊張の中仙台の手前15キロ地点あたりから機能している信号機が少しずつ増えてきた。今回は仙台市から宮城県北部の範囲に起きた余震のようだ。時々路肩に停車し「高速道路状況」を携帯電話で確認しながら向かったが、それでも5時前にはやっとの思いで仙台の叔母の家に着く。この時点で磐越道の通行止めは解除。東北自動車道は福島県白河から宮城県白石までは開通したという情報。久々の叔母夫婦との再会だったが1時間で切り上げ、出発前に状況を確認したらなんと白石から宮城県泉インターまで開通していた。ラッキーだ!仙台南インターから東北自動車道に乗れた。8時頃だろうか「余震の第2弾がきた!」とラジオが叫んでいるが軽かったようでほっとする。

数カ所のパーキングで仮眠をとりながら長野県に向かったが昼を過ぎても宮城県古川インター~岩手県一関インター間が未だ交通止め、特に古川インター以北の破壊が大きく開通の目処が立たないという。考えてみれば昨晩3時間出発が遅かったらまさに古川インター付近の東北高速道路付近で地震に出くわした事になる。私としては多くの情報を集め物資を集め「一時帰省するなら今しかない」と熟考した結果がこうである。なんで夕べ、あの時間なんだ!・・・でも無事に帰ってこられて身内も被害なし。運が良かった、ということにしよう。